災い転じてソリストになる
六大学でリリースしたレコードの裏話
二年の夏、六大学コンサートのライブ演奏をレコードにする話が持ち上がりました。自費出版でなく、老舗のレコード会社のキングレコードからです。
何の曲を録音するか?9月初旬のコンサートですが、お盆過ぎにヤマノのコンテストがあり当日まで極秘なので他のバンド、何やるかは全くわかりません。
どこも一番力を入れてる曲を録音の候補にしているはずで、ニューオレもヤマノの最終曲ということになりました。80年代初頭アメリカの学生ビッグバンドから新しいアレンジの曲がいろいろ発表されてちょっとしたブームだったのですが、ニューオレの選んだのはイン・ザ・ムード。山木さん(ニューハード)のスパイスを盛り込みつつなかなか斬新なアレンジ。
その曲では4年生のテナーとトロンボーンがソリストとして抜擢されてました。
ヤマノ当日(1日目だったと思う)3曲演奏したのですが翌日早大ハイソが演奏し始めた時、バンド内に戦慄が…なんとイン・ザ・ムードやってるじゃないですか?もちろんアレンジャーが違うのでまるで同じではないですが、どう聞いても元のモチーフは同じとわかります。
結果はハイソ優秀賞ニューオレは11位くらいだったと思う。うーん、こっちが下げるしかないです。急遽1曲目にやったエリントンのコットン・テイルで臨むことに。
そんなにアドリブできるプレイヤーはいなかったので、負担分散のためその曲はテナーの自分とトロンボーンの河野が担当することになってたわけ。まだアドリブもよくわかってなかったので、ある程度書き譜を準備してたのですが、自分はルー・タバキンのソロから(当時からテキサステナー系ブロウ派が好きだったのでグロウルしまくり。後にも先にも書き譜ってこれだけかもしれない。)、河野はマイルスのソロをベースに作ってました。
で、先輩たちもこの期に及んでソロ奪い取ることもせず(できず)急遽曲目変更でこっちに回ってきたわけです。大変です、この時点で楽器歴1年半。そこそこ吹けるようにはなってきましたが。
9月になり当日。レコーディングは、リハと本番の2テイクのみでした。そのころはほかの大学の人たちも少しづつ知るようになり、二年生で1stを任されてるハイソの超ハイノートヒッター小林と2ndのフリューゲルがすごい馬場とテナーの小泉、慶應ライトのテナー熊ちゃんなど二年生で頭角を現してきたスタープレイヤーが何名もいて、テレビの中の芸能人を見るような憧れをもって見ていたものです。すげー、友達になりたいなー、と思いながらも別次元にいる人の気がしてちょっと怖くて話しかけられなかった。友達になったら普通の人だったけど(笑)
レコードリリース後、スイングジャーナルに半ページ程の評論が載ったのですが、ニューオレのバリトンサックスが特筆すべき音だというのと同時に、”テナーの石川が渋い”って書いてもらって照れくさいと同時に嬉しかったです。今聞いたらピッチもリズムも適当だなぁと思うけど。あの本どこに行ったんだろうな?
このころからニューオレのD年けっこう優秀ってことで、面が割れてきました(笑)
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